誰かの存在が自分の中に入ってきたとき(それは扉を叩いただけでなくちゃんと栖を作ったとき)から、無意識のうちに意識的にその存在を追いかけたり消したくなったりしてるんだろうなとおもう。

消したくなったりしたときなんかはより強くそのひとのことを想ってしまうから厄介なもので、そういうときは昔から使い古された花占いで想いの行方を決めてしまうのもありなんじゃないかっておもったりもする。

この花占いってやつがまたエゴイズムに満ちているものだから笑っちゃうよね。

 

だけどやっぱりいつだって私たちはひとりで生きられないから誰かを求めてしまうし、だから常に好かれていたいと思うのだろうか。嫌われるのはこわいよ。

バウムクーヘン

この世界、なにもかも溢れすぎてそりゃすくえないものも多いよな。 

 

たとえば、言葉はどんどん目に見えないスピードで発信されていくようになって、届いてるのか届いてないのか余計に不安を煽りだして、届きましたとか届いてませんとかいうお知らせがくるようになって、さらに焦燥感を増やしてく。

誰かと誰かの距離は指先で触れれるほど近い距離になりすぎたから、瞳を見て話すことも減ってしまったし、面倒なことも増えた。

だけどいつまでたっても心の中だけは未だ見えやしないし、だからせめてそれだけはそのままであってほしいな。

 

バウムクーヘンみたいにさ、

それでいいよ。

 

 

もともとつくっていたwebを改造してブログをはじめてみました。

色褪せるだろう言葉たちを色濃いうちに描いてみるのもわるくないかなって。

思ったこととか、思わないこととか、見たこととか、見えないこととか、くだらないこととか、大切なこととか、ぼんやり綴っていこうとおもいます。